世界遺産 クスコ Cusco
クスコはインカ帝国の首都として 16世紀に繁栄を極めたが、後にスペインの支配下になった。しかし頑丈なインカの石組みは容易に崩せず、スペイン人はこの石組みを土台にスペイン風の街並みを造り上げた。複雑な歴史の中で2つの文化が融合して造られた街は美しく、そして独特の雰囲気を漂わせている。建築様式を含む文化的価値が認められ、1983年にユネスコ世界文化遺産に登録された。
クスコ Cusco
中央アンデス山脈の標高 3400m に位置するクスコは15世紀初頭より、1533 年にスペイン人によって滅ぼされるまで、インカ帝国の首都として栄えた。クスコはケチュア語で「へそ」 を意味し、太陽神を崇拝するインカの人々にとっては文字通り世界の中心地であった。全盛期のインカ帝国は北は現在のコロンビア南部より南はチリの首都サンチアゴの南まで、全長約 5000km にわたり、総面積はなんと100 万㎢を越える大帝国であった。クスコを征服したスペイン人達はインカの精巧な礎石の上に、教会やスペイン式の邸宅を建てたが、この不思議な調和がクスコを他の南米の都市とは異なった特別な都市にし、特異な建築様式を含む文化的な価値が認められ、1983 年にユネスコ世界遺産に登録された。有名なマチュピチュ遺跡に行くためには必ず、クスコを経由しなくてはならないが、インカを語るうえでクスコは欠かせない重要な街である。民族衣装をまとったインカの末裔が石畳の道を歩いている姿を想像するだけでも楽しい。
クスコへのアクセスはペルーの首都リマより空路で約1時間30分。早朝4時半頃から、夜の7時半位まで、1 日約 20 便ほどの直行便が飛んでいる。クスコ空港からクスコの中心部までは約 4km、タクシーで約15分の距離。電車や地下鉄などはないが、空港のそばのバス停からクスコ市内までの路線バスがある。ただし荷物がある場合はタクシーを利用したほうが無難。
クスコの街の中心部は、濡れたように輝く石畳の道が迷路のように張り巡らされ、インカ時代の美しい石積みの壁が残る独特の雰囲気。クスコの中心はカテドラルやヘスス教会などの荘厳な教会や博物館などが建つアルマス広場。アルマス広場の周辺にはレストランやショップが軒をつらねている。このあたりは高級ホテルも数多く、1 日中、観光客で賑わっている。23 時を過ぎてレストランが閉店すると、途端に薄暗くなり、人通りがなくなるので、注意が必要。アルマス広場から南東のエル・ソル通りがクスコのメイン・ストリート。太陽の神殿の礎石の上に建てられたサント・ドミンゴ教会がこの通り沿いにある。アルマス広場からトリウンフォ通りを東へすすむと宗教美術博物館があるが、この建物の土台はインカの石壁がそのまま利用されており、土台そのものがインカ建築の貴重な資料となっている。この石壁の中で特に有名なのが、12 角の石である。
アルマス広場 Plaza de Armas
インカ帝国の街づくりは偶然にもスペインと同じく広場を中心に行われていた。クスコの中心にあるアルマス広場はインカの時代には二つの聖なる広場があった。スペイン人はインカを征服するとすぐに2つの聖なる広場を一つにしてアルマス広場とし、広場を見下ろすようにカテドラルを建設した。教会と植民地時代の古い建物に囲まれたアルマス広場は一年中、観光客で賑わっている。
カテドラル
アルマス広場に面して建つカテドラル ( 大聖堂 )はインカ時代のピラコチャ神殿を取り壊して建てられた。1550 年に建設が始まり、完成までに 100年の年月が費やされた。教会の内部は金色の装飾で彩られ、中でもポトシ銀山から運んだとされる300トンの銀で作られた祭壇は一見の価値がある。壁には沢山の宗教画が飾られているが、約400 点あるといわれる宗教画の中でも混血の画家マルコス・サパタが描いたイエス・キリストや弟子の聖人たちが集っている「最後の晩餐」が印象深い。 絵に描かれている食事はクスコの名物料理 クイ ( ネズミの仲間 ) である。カテドラルの屋根には 1659 年につけられた南米で最も大きい鐘があるが、その音は40km 先まで響き渡るという。ペルーは過去に何度か大きい地震の被害に遭っているが、カテドラルに祀られている褐色の肌のキリスト像は地震の神として崇拝されている。
ラ・コンパニア・デ・ヘスス教会 Iglesia de La Compania de Jesus
カテドラルに向かって、右手に聳えたつラ・コンパニア・デ・ヘスス教会はその昔、インカの第11代皇帝ワイナ・カパックの宮殿があった場所に建てられた。現在の教会は 1650 年の地震のあとに 17 年かけて再建され、1668 年に完成。教会の内部はカテドラルの絵を手がけた画家、マルコス・サパタによって描かれた見事な壁画や高さ21m、横幅 12m の木製彫刻の上に、金箔を施した光り輝くバロック式の中央祭壇など、見るものを圧倒する素晴らしさだ。
12角の石 La Piedra de Los Doce Angulos
アルマス広場より北東方向に 5 分程歩くと、右側に宗教美術博物館が現れる。その建物の土台となっているインカの石組みの中に 12 角の石がある。石組みの多くは四角形に切り出され、カミソリの刃一枚すら通さないような精緻さで組まれているが、この 12 角の石とその周りの石組みだけは少し異なっている。インカの皇帝の 12 人の皇族を指している等、諸説があるが石工が腕を競った結果の傑作ではないだろうか?
サント・ドミンゴ教会・修道院
(コリカンチャ=太陽の神殿) Iglesia y Convento de Santo Domingo (Qorikancha)
インカ帝国において最も重要な太陽の神殿は太陽神をはじめとするアンデスの神々を祀っていた場所で、建物内に飾られていた金の装飾品によって、コリカンチャ(黄金のある場所の意)と呼ばれていた。そこかしこに金がふんだんに使用され、金色に光り輝いていた太陽の神殿は16世紀にスペイン人によって、インカ帝国が滅ぼされた際に破壊され、内部にあった数々の財宝や黄金をスペインに持ち去られてしまった。スペイン人は破壊した太陽の神殿の堅固な石組みの土台の上にドミニコ会の修道院、サント・ドミンゴ教会を建造した。1950 年に起きた大地震により、植民地時代に建造されたサント・ドミンゴ教会は無惨に崩壊したが、太陽の神殿の石組みは全く崩れないで残っていたことで、インカの石工の精緻で高い技術とその文明が世界に知れ渡った。インカの建築土台とスペインの教会が一体化したサント・ドミンゴ教会はインカとスペインの文化の混合によってもたらされたペルーの文化の象徴となっている。
サント・ドミンゴ教会の中央祭壇の横には最も保存状態が良く大きいインカの石壁が現存している。スペイン人の建築家たちはこの壁を土台に 3 つの大きいアーチの大窓と、美しいバルコニーを建設した。だが、当時、車輪も滑車も鉄器さえも持っていなかったとされるインカ人がどのような方法で膨大な量の巨石を切り出して、運び、カミソリの刃 1 枚さえも通さない精緻な加工ができたのか。インカには文字がない為に記録がなく、謎が多いが膨大な時間と労力を要したことだけは容易に想像できる。
サンブラス教会 Iglesia de San Blas
12 角の石のあるハトゥンルミヨク通りを上りきった高台、インカ帝国時代の石垣が残るサン・ブラス地区にある教会。建物は質素な日干し煉瓦造りだが、内部はバロック様式で金箔張りの祭壇の装飾は豪華。特に左側の天上界、人間界、地獄界を表現した三層に分かれた説教壇は素晴らしい。近くに展望台があり、茶色の瓦屋根のクスコの街並みを望める。
サンペドロ市場 Mercado San Pedro
クスコ住民の食材、日用品、花等さまざまなものが安く売っている。日本にはない野菜類も多く楽しめる。何より活気に満ちた人々からクスコの雰囲気がよく感じられる。アルパカのセーターや民芸品等のお土産も売っているが、英語はまず通じない。スリには注意が必要。